他人は自分を映す鏡

他人は自分を映す鏡だって、よく言われてるしよく聞けど、
どういうことなのかいまいち分かっていなかった。
妙にみんな納得してるけど、はて?何がいいたいんだ?みたいな。
実は最近少し分かってきて。
少しだけね。
なんとなくこういうことかなというのが私の中で繋がってきた。

一言で言うと「自分の中に無い価値観は感じることができない」
例えば、目の前に肌の色が違う人がいたとして、私は何にも思わない。
嫌悪感を抱く人や理不尽感を抱く人もいるけど、
小さな日本という島国の限られた地域で育った私には全く湧かない感情。
だからそれは、相手が嫌悪感を与えてきているんじゃない。
相手が嫌悪感を与えてきてるのなら、私も嫌な気持ちになるはずじゃない。
あくまで自分の中にある価値観や文化がそう感じさせているということ。
(例えが失礼だったら申し訳ない。)

私が嫌悪感を感じるのは、時間を奪ってくる人。
時間を守らない人とか、無駄な作業をさせる人とか、許容量を超える任務を担ってしまう人とか。
私は人の時間を奪うことはとても失礼な事だと考えている。
それがハッと言語化できたのが、ディズニーに行った時だった。
今のディズニーにはプレミアアクセスという制度があって、追加料金を払えば優先的にアトラクションに乗れるというもの。
若い頃はお金が無いから(今もないけど)時間を使って解決させていたけれど、歳をとるといかんせん時間が使えない。
忙しいという意味だけじゃなくて、長時間並ぶのが辛い。体力が続かない。
プレミアアクセス対象じゃないアトラクションに90分くらいだったかな?並んで乗ったときに、ハッと気付けた。
時間をお金で買わせてもらえるなんて、なんてありがたいんだと。
私は時間というものに価値を感じていることに気付けた。
だからその価値を蔑ろにされると、とても嫌な気持ちになる。

だけど、相手は時間を奪ってやろうと思って接してきているわけではない。
あくまで、その人の個性や特徴のひとつなだけ。
私の中に”時間を奪わせない”という思想があるから、反感を感じているということ。
何事も自分の中にある専用の物差しで測っているだけ。
その物差しは人によって全然違って、お金を使うなら時間を使うという物差しの人もいる。
私も何年か前はその物差しを持っていたし、
ということは、物差しは一生を通して同じということはない。
歳をとることだったり、環境の変化で変わり得ることが十二分にある。
物差しが変わったかどうかは、他人が教えてくれる。

これが、他人は自分を映す鏡なのだと。
今の私はそう解釈している。