家族間・恋人間にこそ離別感

物理的距離が近い相手や、心の距離が近い相手には、一体感を感じることが多い。
人間はひとりで生きていくことはできないから、たくさんの人の助けが必要となる。
その一方で自然界で適用されている弱肉強食という仕組みが人間界でも多少なり反映されている一面があるから、気が抜けない。
そんなサバイバルの中で一体感を感じられる仲間を作ることで心を落ち着かせ安心感を得ることができるようになる。

産まれたての赤ちゃんをイメージするとわかりやすいかもしれない。
言葉もわからなければ立つこともできず自由に身体を動かすこともできない、未熟な存在。
親に依存して助けてもらって、食事を与えて貰わないと生きていけない。
親も同様で、この未熟な存在を生かすために付きっきりになりお世話をする。
自分の食事の時間を削っても、子供の安全第一に考える時期もあるだろう。

一体感を持って依存して依存され、だんだん成長して子供に自我が芽生えても、その一体感が根強くへばり付いていることがある。
親は子供を自分の分身や所有物だと思い込んだり、子供は親を望みを叶えて当然の存在と思い込んだり。
中世ヨーロッパ時代は、”子供は何もできない小さな人間”という解釈だったらしく、その時代よりは幾分思いやりのある世界になったかもしれないが、
思いやりは押し付けになり、受取拒否をされると不満をもらする。
その中心にあるのが「一体感」だ。

相手を自分と同じもの、所有物や操作可能な存在と認識し、支配しようとする。
それと同時に、相手の問題を勝手に引き取ってしまうということもあるが、それはまた別の機会に。
言わなくても分かるはず、だとか。同じように望むべき、だとか。
相手に自分をくっつけて、操り人形のように同じ動きをしないと非難する。

そこから一旦剥がしてみよう。
べりべりっと!
あなたと相手は”別”なのだと。
だから強要はできない、コントロールはできない、支配はできない。
それでも相手に行動して欲しいときはある。
そんな時は、自分の気持ちとして伝えるようにしてみて。
なんで洗い物してくれないの!ではなく、
あなたが洗い物をしてくれるととっても助かるんだけど、お願いできないかな。
散らかしたものはすぐ片付けてって言ってるでしょ!ではなく、
部屋が散らかっていると気が散っちゃってゆっくり休めないの、お片付けしてくれると気分がスッキリして嬉しいな。
相手や相手の行動を非難するのではなく、自分の気持ちとどうして欲しいのかを伝える。
大事なのは伝えるということ。
相手が受け取るかどうかは、こちらの言動の範疇を超えているのだと理解すること。

恐怖で支配して従わせることは一番手っ取り早くて簡単かもしれない。
でもその先には愛や信頼は無くなってしまう。
目の前にいる相手を、はたしてあなたは奴隷にしたいのか。
愛の反対は無関心だと言います。
愛しているからこそ求めてしまうのだと、一度深呼吸をして確認していきたい。